2010年11月05日

11.それぞれの行き先

「ソウちゃん、試験場の学科試験、難しかった?」
「難しかった。問題文が引っかけばかりで、意地悪なんだよ」
「そうなんだよね。でもソウちゃん、一発合格で免許手に入れたじゃないの」
「まあ、全問解き終わってから、本当にできたのかなって不安になったけど、合格とわかったときは、うれしかったね」
「相変わらずだね。ものごとに完璧を求めるところは」
 あの騒動から二ヶ月ほどたった日曜日。その日は美琴が高原家に遊びに来ていた。美琴は居間で宗太郎と話をしている。
「しかしなあ、おれ、マニュアルの免許取れたのに、親は『初めはこれにしておきなさい』って言って、あのスクーターを買っちまった」
 家の庭には、新たに九〇ccのスクーターが置かれていた。これが今のところ、宗太郎の愛車である。
「いいじゃないの。初心者は排気量の小さいのから始めて、感覚に慣れていくほうがいいと思うよ」
「そうかあ?」
「それに、あのバイクは九〇ccでしょう? 五〇ccを超えるバイクに乗れるのは、二輪免許の特権よ。五〇cc以下だと普通免許でも乗れちゃうからね」
「今はあれに乗ってるけど、でもいつかは、大きなマニュアルに乗りたいなあ、おれ」
「まあ、大きなのになると、マニュアルのほうがいいかもね。最近はビッグスクーターがたくさん出てるけど、やっぱりマニュアルのほうが小回り利くし、エンジンブレーキもよく効くからね」
 宗太郎は窓の外に見える自分のスクーターを指さした。以前ケガをしたその左手は、もうすっかり治っていた。
「話変わるけど、ソウちゃん」
「ん?」
「梅島くんとは、あれから会った?」
「いや、全然」
「何でよー。あの子、ソウちゃんを心配してくれてたのよ。あなたと友達になろうとしてたのよ。せっかく友達になれるチャンスなのに、わざわざ捨てるつもりなの?」
「まだ、あいつをいまいち信用できない」
「信じてみなさいよ。あの子は少なくとも、ソウちゃんを裏切るようなことはしないと思うわよ」
「でも、あいつの連絡先、わかんねえよ」
「それならあたしが聞いてるわよ」
「本当か」
「あのとき聞いたのよ。ソウちゃんが行方をくらました、あのときに、ね」
「よせ、もうそのことは言うな」
「わかったわかった。もう言わないわよ。じゃ、教えてあげる。梅島くんの電話番号」
 美琴はいつも持っている手帳を取り出し、剛輝の携帯電話の番号を書いて、その部分だけをちぎって、宗太郎に渡した。
「ソウちゃん、やっぱりケイタイ、買ってもらいなよー」
「電話は苦手なんだよ」
「だったらメールを使うといいよ。話すのが苦手ってことなんでしょ」
「メールか」
「最近はメールがきっかけで友達の輪が広がることが多いみたいよ。それと『類は友を呼ぶ』っていう言葉、知ってる?」
「何だそりゃ」
「趣味や好みが同じ人同士は、自然に友達になるってこと。ソウちゃんのような、バイクが好きな人は世界にいーっぱいいるから、きっと気の合う友達が、これからできると思うよ」
「そうか」
「中には、アスペでバイクが好きな人も……あっ」
 美琴は言いかけて、何かに気づいた様子だった。そして、あらためて宗太郎にたずねた。
「そういえばソウちゃん、正式にアスペルガー症候群と診断が下ったんだよね。おばさんから聞いたけど」
「うん」
「ソウちゃん本人は、それを聞いてどうだった?」
「どういうこと?」
「つまり、自分がアスペルガー症候群というものをかかえていると知らされて、何か思ったことはなかったか、って」
「ああ、検査に行き始めたときは、あんまり気が進まなかったけど、正式に聞かされると、自分の正体が明らかになったみたいで、すっきりした」
「よかった。本人がどう思っているか、気がかりだったの。それなら安心したわ」
 美琴の顔がゆるみ、笑顔が浮かんでいた。
「それでさ、自分は普通になろうとしても、それが難しいんだってわかった。で、かえって開き直れた。もう無理して普通になることもないかな、そのうえで自分に合った道を選んでみようかな、って」
 さらに美琴は宗太郎にたずねた。
「あ、そのことについてだけど、学校やめて、高認受けることにしたんだってね」
「知ってたのか」
「おばさんから聞いたわ。それで、おじさんとおばさんが言うには、ソウちゃんがアスペだとわかってから、考えを変えたんだって。『学校へ戻そう』から『ソウちゃんに合った道を見つけよう』に。それでもう、今の学校は通ってもいいことはないだろうってことで、退学を認めたそうよ。お互いの思惑が一致したってことね」
「ふーん、そうだったんだ」
「ふたりとも、ソウちゃんのことを思ってくれているのよ。感謝しなきゃ、ね」
 美琴がそう言っても、宗太郎にはその真意がじゅうぶん伝わっていないようで、宗太郎は特に反応しなかった。
 次に美琴は、以前宗太郎を自分のバイクの後ろに乗せて、港に行ったときと同じ内容の質問をぶつけた。
「それで、その先何か目標にしていることはある?」
「ああ、おれ、自動車整備士の専門学校に行こうかと思ってるんだ」
 今度は、宗太郎は明確に答えてくれた。それを聞いた美琴は、うれしさがこみあげた。
「へえ、ひょっとして、教習に通ってて興味がわいた?」
「そうなんだ。教本にあった自動車の動くしくみの図を見ていたら、整備の仕事をやってみたくなってきてね。ま、それでまた学校に行くことになるんで、少し不安はあるんだけど、やるだけやってみようかな、って」
「よかった。新しい道が見つかったんだね。あたし、ソウちゃんに免許取得をすすめて、本当によかったわ。あ、でも当面の目標は、高認合格ね」
「まずはそれだ」
 美琴がそのときの気まぐれ半分で宗太郎にすすめてみた、普通二輪運転免許の取得。それが結果的に、宗太郎によい影響をもたらしたことで、美琴はうれしさでいっぱいになった。
 同時にこれから自分は、目の前にいる自分のいとこのような、アスペルガー症候群をかかえる子に適切な指導を与えられる存在になってみよう、と心の中で誓うのだった。
「ただいま!」
 玄関から声が聞こえた。敬次郎だ。
「あ、ミコちゃん来てたのか」
 居間へやってきた敬次郎が、美琴を見るなり言った。
「あ、ケイちゃん、おかえり。今日も部活?」
「そうさ」
 宗太郎とは違い、敬次郎はいまだケガが治っていない。それでも部活には休まず参加している。
「今のおれは練習が満足にできない状態だから、もっぱらマネージャー業さ。練習試合のときには試合運びなんかを見て、どう動けばいいかを考えて報告したりしてさ」
「へー、そうなんだ。ケイちゃん、ケガしたときはかなり落ち込んでたみたいだけど、どうやらその様子を見てたら、もうだいじょうぶみたいね」
「ああ、たとえレギュラーになれなくても、こういう形で部を支える道もあるんだな、って思った。グラウンド内ばかりにいて、それに気がつかずにいたんだよな。おれ、この先も、高校進んでも、サッカー続けるぜ。選手でもマネージャーでも、形はどうあれ、な」
 敬次郎は意気揚々とみずからの思いを口にした。それを聞いた美琴は、兄弟そろって道がみつかったのだな、と安心するのだった。
「それと! おれも将来、二輪免許、挑戦するぜ」
「あら、それはよい意気込みで」
「おまえにできるか? 難しいぞ」
 それまで会話に入っていなかった宗太郎が、口をはさんできた。
「やってやるよ。兄ちゃんにできたんだからな。おれにだってできるはず」
「おまえの場合は、学科で落ちそうなんだよな」
「う……まあ、それは何とかなるだろ。とにかく、おれは二年たったら、二輪免許を取る!」
「そしたら将来は、三人そろってツーリングね。いつになるかわからないけど」
 冬本番の到来を知らせるかのように、風がやや強く吹くその日、三人はひさびさに会話を弾ませていた。

 免許を取得してから、高校をやめてから、宗太郎には少しずつ変化が出始めていた。
 現在、宗太郎は自宅にて、高認のための通信教育を受けている。
 宗太郎が高認について詳しく知ったのは、あいにくその年の試験がすでに終わったすぐあとだった。次の試験日は来年の八月および一一月。ならばそれまでの時間を大いに利用して、勉強にあててやろうと考えた。その結果が、今受けている通信教育だった。
 勉強ばかりではない。家の手伝いもやるようになってきた。掃除や洗濯、ときには料理の手伝いも。もっともこれは自発的なものではなく、綾子が宗太郎にいろいろとやらせているのだが。
 宗太郎に診断が下ったあとに、綾子はさまざまな療育関係の本を読みまくった。そうした結果、次の結論に行き着いた。家にいる時間が長いのならば、家の手伝いをさせて生活の術を身につけさせることが、本人にとって有益だろう。そう考えて、綾子は宗太郎に家事の手伝いをさせるようになった。
 そうはいっても、以前までの宗太郎はいくら親から手伝いをするように言われても、ほとんど動きもしなかったのに、今では親の半強制がありながらも、やるようになったのだ。
 宗太郎が普通二輪免許を取得に挑戦し始めてから数ヶ月。この短い間に、宗太郎自身も、また彼の周囲にも、急激な変化が現れた。それは確実によい方向といえる変化だった。

 その日の午後も、綾子が宗太郎にいつもの頼みごとをする光景が見られた。
「宗太郎、ちょっとお買い物行ってきてくれない?」
「いいよ」
 宗太郎は綾子から財布と買い物メモを受け取った。それをショルダーバッグに入れてジッパーを閉じ、肩にかけた。そしてヘルメットをかぶり、バイクのキーを手に持つ。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
 母の言葉を背に受け、宗太郎は自分のスクーターにまたがり、出かけていった。
 今では、宗太郎は高原家の買い出し係となっている。毎度ほぼ決まった時間に、宗太郎は綾子から買い出しを頼まれる。宗太郎自身、バイクに乗ることができるということで、頼まれるのはイヤではない。むしろ自分から進んで手伝いを買って出るくらいだ。
「よかった。あの子がこれだけの手伝いをしてくれるようになるなんて」
 綾子はそう感じていた。以前の宗太郎なら、家の手伝いを自分からやるなど、とても考えられないことだったのに、今の息子の姿を見ると、それが信じられないくらいにまで思える。
「バイクに乗れるようになって、あの子に『生きる自信』が芽生えだしたみたい。あんなに家にばかり閉じこもっていた宗太郎が、今では自分から外に出ている」
 綾子は思わず微笑を浮かべた。その後すぐ真剣な面持ちになり、ふとつぶやいた。
「でも、これで終わりじゃないわ。高認・進学・就職……これからまだまだ、超えなければいけないことは多いけど、わたしもできる限りのことを、あの子にしてやりたい。そう、これからが大変かもしれない。でも、何とか乗り越えられると思う。あの子だって、暗闇のどん底から自分ではい上がれたんだから……」

 宗太郎は愛車を走らせながら、初めてバイクに乗せてもらったときの、あの感触を思い出していた。経験した者でないとわからない、風の世界の感触を。
 風の世界へといざなうもの。それがバイク。人間単体では行けない世界へ連れて行ってくれる。バイクがあるから風の世界を感じられる。バイクは人間と一体となって、風の世界へと入るのだ。
 たとえ乗るバイクの排気量が何ccであろうと、それは同じことだ。
 そして、自分は自動車整備の道を目指す。そしてこの風の世界へ行くための手助けをする存在になろう。宗太郎はあらためて、そう心に誓うのだった。
 それにはまず、高認全科目合格だ――
(完)


posted by エビフライ飯 at 22:15| 風の世界へ進め!〜あるアスペルガー少年の挑戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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